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木製家具・小物製作 bügelのものづくり、nagasaki、ぶらり旅ブログ。
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ばーちゃん
性別:
女性
自己紹介:
長崎で小さな木の家具を作っています。

名前は bügel。「ビューゲル」と読みます。
ドイツには行ったことないけどドイツ語です…
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2024/03/28(Thu) 22:13:01
JPN
 JPN
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11.4.10sakura6.JPG




家の斜め前にある桜の木を撮ってきました。
ここの桜の花びらがうちの前まで飛んできてます。
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11.4.10sakura3.JPG


ずっと写真撮ってたらお墓参り帰りのおばあちゃんが通りかかって、
「きれいですね~」って言って少し世間話してたら、
自転車のかごに入ってたブロッコリーと春菊をくれました。

それからお墓の上の方まで登ってみるといつもと違う景色が見れました。
そうこうしてるうちに夕日が沈んでゆきました。
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2011/04/10(Sun) 23:50:20
 11.3.10hasu.JPG

地震から4週間近く経とうとしています。
ひとつの災害に関して、こんなに長いことテレビにかじりついたりラジオに聞き入ることは今までなかったです。
まったくもってすごい時代を生きているなと思います。



流れてくる映像のあまりの衝撃に、またどんどん増えていく死者数や行方不明者数に落胆し、しばらく眠れませんでした。
想像というものがあったわけではないけど想像をはるかに上回っているというか、よっぽどのことがない限り大丈夫だろうのよっぽどのことが起きてしまっているというか。

何かしなきゃ…瓦礫の撤去でもなんでもいいからあっちに行きたい!と思うけど、実際募金と献血と節電くらいしか出来ることがなくてむしゃくしゃして髪を切りました。もどかしいです。




家族が流されていくのにどうにもできなかったり、津波でボロボロになった遺体を見たり、とりあえず逃げてきたのに原発のせいで何十年も家に帰れなくなるとか、どれだけ悲しいか辛いかなんて私には理解できるわけがありません。

自分が被災したわけでもないのに毎日涙が止まらなかったりするのもなんか変だとも思いました。
でも、すぐに西日本にいる人は経済を停滞させてはいけないから通常通り働いて買い物して飲んで遊んで!ってムードになったのもこんなん見せつけられて普通にしてろなんて無理だよ!って思いました。
テレビが入れないほどのところのことは知ることもできないし。

変な精神状態。。日本中がそうだと思います。



1週間ほどするとテレビもラジオも普通に戻りつつありました。
それもまたなんかおかしいと思いました。
NHKでしか関連ニュースやってないとか…
でも情報をシャットダウンすると普通に戻れてる気がして怖いですね。



私は極論で考える節があるので、地球自体環境汚染とかエネルギーのこととか食料のこととかなんか無理が生じてて、自分が生きてるうちになんか起こったりして…とか考えてもしょうもないようなことを思うこともありましたが、
まさか、日本で、今、「核」の恐怖に怯えたり、「餓死」という言葉を聞いたりすることになるとは思ってもいませんでした。



しかも政府も報道も信用できないとなると困った。
情報も自分で調べて行動も自分の判断でってことになってきてます。



今まで地震も原発も漠然と怖いなーと思っていたけど、実際何か起こるまでわからないのが人間ですね…
シムシティではポンっと原子力発電所建てられちゃったりしたし。
原発のことに関しては話を聞いたりする機会はあっても、やっぱりちゃんと考えることが今までなかったってことです。

知らない間に建ってたとはいえ、こんな大変なものに頼って生活していたとは。
しかも海外にまで迷惑かけて…



実際こっちでは今まで特に影響は出てなかったけど、昨日から放射線飛んできてるってドイツのデータでは出てるし。本当に目に見えないものなので危機感が持てないですね。黄砂くらいわかりやすければいいんだけど。タバコや農薬ついた野菜食べ続けるのと比べて実際どうなんだろう。


5年後くらいに影響がでるとして、日本はその頃どうなっているんでしょうね。
そのうち放射線にまみれてるのも普通になってしまうんだろうか。
なってそうでやだなぁ。



とにかく被災地意外の人も普通の生活に戻りつつもずっと考え続けないといけないなぁ。
知識を自分から取りに行って蓄えて。みんなが考えなくなる、無関心になることが一番怖いと思います。



関東にいる兄弟友人には今でも早く帰ってくればいいのに…って思ってます。



1週間以上書き足し書き足してなんかまとまりのない文章になってしまいました。
書き始めた時とテンションも変わってきて見てて古い話のよう。
でもこれからも大変なんだなぁ。


早く避難生活している人が安心して生活できる環境が整うように少しでも募金しよ。
2011/04/06(Wed) 23:57:49
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昨日、仕事が終わって携帯を見ると、懐かしい人からの着信がありました。
大学の研究室の教授からでした。

先生は私達の卒業間際に脳の腫瘍で倒れちゃって謝恩会にも卒業式にも出れず、
何年か後に研究室に遊びに行ったときも、人の名前とかぱっと出てこんし、
だ、大丈夫かな…て感じだったんだけど、

昨日の電話では、元気元気で安心しました。よくわかんないけど本人も「やっと普通の人の扱いをしてもらえるようになった」とか言ってました。脳ってのも回復するんだねぇ。


研究室は理系の学科の中で異色の意匠学研究室というところだったんですが、私が家具とかインテリア関係の仕事がしたかったので勉強の為無理やり?VectorWorksを買ってもらって存分に使わせてもらったなーとか電話中久々卒論をひっぱりだしてペラペラめくりながら当時のことを思い出して楽しいひと時でした。
昨日はあれはいい買い物だったと言ってました。


電話の用件は、
先生は芸術家(絵描きさん)でPCに疎く、なんかソフトのことで聞きたいことがあった(今頃になって学生さんが焦ってるらしい。大丈夫か!?)のと、どこかのデザイナーさんが先生のデザインの研究に興味を持っていて、そのデザイン論の研究をしてた私の卒論を資料に使ったいうのの報告でした。
もちろん他の卒業生のもたくさん使っているとは思うけど、何かの役に立ってうれしかった。

残るものってこんなに時間が経ってもなんか役に立つときもあるとよね~。



あと、技専の時面接受けさせてもらった家具工房の社長が偶然先生の友達だったんだけど、面接受けた後先生にその社長さんから連絡があったらしくて、そんとき採用する風に言ってたらしいので、そこで私が働いてるもんだと思ってたらしく、びっくりしてました。もう2年くらい前の話だ…。
当時私が先生に連絡して口利いてもらったような形になったら嫌なので、先生には連絡しなかったんだけど、私も忘れてましたよ。

一生懸命怒ってくれて、他の就職の斡旋までしてくれようとしてうれしかったです。
「今半分農業してます」って言ったら先生の中で芸術の世界からかけ離れているからか、さらにびっくりしてました。


先生は前述の通りTHE・芸術家って人なので話していてもどっか浮世離れした感覚があって面白い。
さらに今私が普段話す人達とは多分感覚が違うのでなんか面白い。
学生の時は、貧乏学生が多かった研究室メンバーに「お金に困ってるんだったらヌードモデルしなさい」って普通に言ってたし。
美大ってやっぱ行ってみたかったな~。毎日刺激的で楽しそう。憧れる~。
普通の人な私が私のいない世界に思いをはせてみたり。


みんなたまには顔見せなさいって言ってたよー。
2010/10/30(Sat) 00:39:20
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