木製家具・小物製作 bügelのものづくり、nagasaki、ぶらり旅ブログ。
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終戦記念日だった昨日、出不精のさよこと川棚の魚雷発射試験場跡行ってきました。
<参考>http://bit.ly/pxDhfC 車横付けできてかなりアクセスのよいところです。昨日はまた風景に合う天気でもありましたね。 廃墟の中でコスプレして写真を撮るのが流行ってるのかな?大分からのお客さんがいて、さよこが勇気を出して話しかけました。 「何のキャラクターなんですか?」って。ボーカロイドっていうらしいです。 ここは海の特攻隊「震洋」の訓練場とかではないので、ここでたくさんの人が亡くなったとかはないのでしょうが、魚雷という殺人兵器の実験をしていたところなのかと思うとぞっとします。軍艦島とかの廃墟とは違う感じ。 大きな建物は魚雷調整工場、細長い塔のところが発射試験場跡のようです。 しかし建物の周りは草刈もされていて、建物の屋根は崩れ落ち木々が生い茂っていてさわやかな空気さえ感じました。 未来の地球の姿? そのあともう一軒、 通るたび看板をみて気になっていた「無窮洞」へ。 <参考>http://bit.ly/nXnsiz 雑誌で説明を見た記憶もあったんだけど自然の洞窟なのか防空壕なのかなんだったっけ? みたいな記憶でとりあえず行ってみると、想像以上のものがそこにはありました。 なんと子供達(小学校低学年~中学生くらい)だけで掘った防空壕でした。 グレーっぽい色をしていたので最初土を掘ってコンクリートで固めたのかなと思ったんだけど、 火山灰から出来た石だそうです。やわらかいとはいえ石ですからね。それを子供だけで掘ったのだそうです。 ずーっと説明してくれた保存会の会長さんも掘った人のうちの一人とのこと。 中は迷路のように何本も道があって、山の上の方に抜ける脱出口は外と中から掘り進めていったそうです。すごい。 教壇や、天皇皇后の写真を飾る棚、手洗い場、かまど、トイレなど生活できるような設備が揃っていました。 でも、じめじめとして水溜りはそこらへんにあるし、過ごしにくかったのではと思います。 MAX600人が入る設計で、そうなると酸素不足になるので、通気口から唐箕を扇風機がわりにして風を送っていたのだそうです。 扇風機もない時代の知恵もちりばめられていました。 掘っている途中で終戦を迎えたため、掘りかけの部分もありました。 長崎の原爆の負傷者はトラックに積んで諫早や大村で下ろしながら北上し、ここにも来たそうですが、皆全身ヤケドなので全員助からなかったのだとか。 66年目の終戦記念日、合掌。 そして8月15日といえば精霊流し!その話はまた次回。 PR 2011/08/16(Tue) 22:02:47
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